マルタ共和国・キプロス共和国②
総面積:316k㎡ (全部あわせても淡路島の1/2)
人口:40万人(年間観光客120万人)
首都:ヴァレッタ
宗教:カトリック
言語:英語マルタ語(イタリア語も通じる)
2004年EU加盟
2008年ユーロ導入
1964年イギリスから独立
地中海性気候
水:淡水はほとんどない。
この国では 水は本当に貴重です。
飲み水はイタリアから輸入
水道水は海水から作られる(ちなみに世界ではじめて海水から生活用水をつくった島だそうです。)
主な産業: 観光 です。 都市風景は映画の撮影などよく使われる。
国民は とても勤勉であるという事です。
生産物はほとんどなく 石灰岩(蜂蜜色といわれる岩石) が産出される。
(小型犬マルチーズの発祥の地といわれてるようです。)
(小型犬マルチーズの発祥の地といわれてるようです。)
*日本海軍慰霊碑:第一次世界大戦・英国と同盟関係にあった日本は巡洋艦‘榊’をマルタに派遣。59名の命が失われたそうです。大正8年カルカーラのイギリス軍基地に慰霊塔が建立されました。昭和48年再建されました。日本とマルタ・イギリスの大事な歴史です(カルカーラはスリーシテイの北。)
マルタ空港付近 ↓
てるようです。
わたしは、この考え方は、極端であるとは思いますが
とても興味深く
魅力あるとおもいます。
その地中海の真ただ中の マルタ は、好立地ゆえに
数多くの民族の侵略を受けました。
[ なかでも
‘十字軍の聖ヨハネ(マルタ)騎士団’は重要です。]
まず、圧倒されるのは 巨石神殿文化 です。
エジプトのピラミドよりも古いB.C8000年 or B.C.5000年といわれてる
巨石神殿 が、各地に残ってます。その高度な文明を誇った人びとは、忽然と姿を消してしまったそうです。
その後、古代フエニキアじん、ギリシャ人、カルタゴ人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人、カステイーリア人など多くの民族が足跡を残しました。
西暦60年には、
聖パウロ が漂着し キリスト教 が伝わったといわれてます。
聖ヨハネ騎士団:
1113年 聖ヨハネ騎士団は 、
パレスチナに ‘キリスト教徒の巡礼保護を目的とした十字軍’の病人や負傷者などの看護、貧者の救済にあたるために創設されました。
聖地に広大な領地、宮殿を擁し僧でもあった騎士達は、果敢に戦う戦士でした。そして 騎士達は 清貧・貞潔・服従の厳しい戒律のもとにおかれました。
1291年 アッコンの砦 が、占領されると聖地から はなれました。
そして キプロス・ロードス島に場所を移しました。
1522年 第10代スレイマン一世によってロードス島も追われました。
その後、クレタなどを転々としながら
忘れ去られた マルタ島 を 神聖ローマ帝国の皇帝カール5世からもらい受けました。
その条件は、‘ 年貢は 鷹1羽 ’ だったそうです。
1565年 スレイマンのトルコ軍 の 3ヶ月に及ぶ猛攻(大包囲戦) に耐え
又、 シチリアからの 援軍を得て 勝利しました。
このときの騎士団の団長・フランス人の
ジャン・パリソ・ドウ・ラ・ヴァレッタの名前を取って
岬の要塞都市 が、
ヴァレッタ と名付けられました。
この都市は ルネッサンス末期の ‘理想都市’にならい 碁盤目模様に道路が配されました。
1798年 エジプト遠征途中のナポレオン率いる58000人の兵と艦隊に無抵抗のまま降伏・
268年におよぶヨハネ騎士団のマルタ支配はあっさり終わりました。
しかし フランス支配は2年間
1800年イギリスのネルソン総督に援助を要請し マルタは
英国の統治を受けました。英国の統治は160年以上続きました。
1964年には独立。
1974年 マルタ共和国誕生。
ラベル: 旅行
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム