Baroqueの優雅な昼下り

2010年3月19日金曜日

隠岐の島

           皇居外苑(二重橋近く)の大楠公像 ↓






文保2年(1318年)31歳で後醍醐天皇は即位(大覚寺統)しました。天皇の鎌倉倒幕計画が発覚し、その後 持明院統・幕府によって次第に窮地に追い込まれる。京都を脱出し笠置山に篭城するも捕らえられる。退位させられ、光厳天皇の即位。元弘2年(1332年)隠岐の島に流される。翌年脱出し楠木正成(大楠公)に鎌倉幕府倒幕の命を下す、大楠公挙兵、北条氏を倒し武家政治を廃し天皇政権の樹立に成功した(建武の中興)。その後、正成にいったんやぶれて九州に逃げた足利尊氏は再び京都に進撃する。正成はいったん足利軍に京都を明け渡して軍を増強して等の戦術を献策するが、反対される。そして新田義貞の敗走などにもよるが、敗北が明確な 日本史上最も激しい戦い といわれた ‘ 湊川の戦い ’!







櫻井の駅の別れ:正成は桜井(大阪府三島郡島本町)にてその子正行(まさつら、11歳、小楠公)に後事をたくす。




尊氏軍に全滅!



 最後に弟正季(まさすえ)と七生報国を誓い合う。(1336年)





*後醍醐天皇は京都より吉野にはいる。



 大覚寺統・南朝





*京都は



 持明寺の北朝




いわゆる南北朝(1336~1392)の始まりです。





♪ ‘以上、南朝側からみた超簡単 太平記です。(年・年号などwikiに頼る事 大 です。) ’












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