Baroqueの優雅な昼下り

2010年6月25日金曜日

ボスニア・ヘルツエゴヴィナ⑬

うつくしい ドリナの橋 ↓

(ヴィシュグラード)

イヴオ・アンドリッチ:


ノーベル文学賞受賞作家。


サラエヴォ事件に関係があったといわれてる ‘青年ボスニア’ に、関わりがあったとされてる作家。 ↓(バルカン史、柴宣弘編、山川出版社)


知らなかったので、


このたび、あわてて取り寄せました。↓


イヴォ・アンドリッチの小説2冊
*ドリナの橋 ↓↑
セルビアとボスニアの境を流れるドリナ川のほとり


ヴィシュグラード(アンドリッチの故郷)にある


美しい石の橋をめぐる400年の歴史をかいたものです。↑↓




*ボスニア物語 ↑


旧ボスニアは
7世紀ごろ:南スラヴ族の居住区


10世紀ごろ:ビザンチン帝国に治められる


1463年:オスマントルコのの属州となる(1878年まで)


1878年:オーストリア・ハンガリー二重帝国の占領下となる(1914年まで)


の歴史をたどるが、この ボスニア物語 は その年代記 。↑↓




うつくしい ドリナ川 ↓


まさに ‘緑色に湧き立つドリナ・緑のドリナ( ←アンドリッチによる)’ です。


このドリナ川はサヴァ川にそそぎ。


セルビアとボスニアとの境となってます。




とても きれい です。 ↓


この景色が 延々と続きます。


ドリナの橋 ↓


11個のアーチ に支えられ 中央に カピア という王冠をいただいてる堂々とした、うつくしい橋。


(カピアは わたしの写真では、めだたないです・・・。) ↓ ↓ これです。 カピア (年代記を入れたトルコ語の碑文が刻んであるそうですが、読めませんでした。1571年大宰相ヴェジール:メフメド・パシャによって築かれました。)


(小説・ドリナの橋 に登場する キャラバンサライ(ハン) は、わかりませんでした。 せめて 跡地 だけでも、知りたかった。)

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2 件のコメント:

2010年6月27日 6:18 に投稿, Blogger noribeyaoyaji さんは書きました...

ドリナ川・ドリナ橋、静かですね。大きくゆったりとした落ち着きが感じられます。現地へ行って、その国の歴史本を読むとリアルに感じられることでしょうね。お疲れさまでした。

 
2010年6月27日 13:59 に投稿, Blogger Baroque さんは書きました...

oyazi殿

‘ 遊ぶ ’ のも疲れます。

アンドリッチさんは、
もうまったく 欧洲の人!
ノーベル文学賞って、
その芸術性に対して与えるのでしょうか?
思想に対してでしょうか?

受賞したので、拝読!
わたしの読書基準ってそんなものです。

 

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